去る2月の日米首脳会談で、安倍首相は日米同盟の「完全復活」をとなえ、オバマ米大統領に「日米同盟はわが国外交の基軸だ。集団的自衛権の行使容認に向けて憲法解釈の見直しにとりくむ」と約束した。そもそも、憲法をまもる義務と責任がある首相(憲法99条)が、憲法違反の集団的自衛権の行使を米大統領に約束するなど、断じて許せない。
その集団的自衛権とは、日本が武力攻撃をされていないのに、同盟国である米国が戦争に入れば、これに協力して日本も戦争に参加するというものである。
この集団的自衛権を認めようとする自民党の「国家安全保障基本法案」の第10条では「我が国と密接な関係にある国に対して武力攻撃が発生した事態に対してわが国は自衛権を行使」できるとしている。
しかし、この集団的自衛権は、明らかに戦争を放棄しているわが憲法9条に違反する。だから、政府も法制局もこれまでは、憲法9条の下では認められないと言明してきたのである。
1972年10月14日、政府は参議院決算委員会で、集団的自衛権についての政府見解を「資料」という文書で次のように示している。
「わが憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」
ところが、安倍首相は、オバマ大統領にこの従来の政府の憲法解釈を変更すると約束したのである。
こうして、集団的自衛権を認めることは、まさに憲法9条の改正を待たずして、憲法を踏み破り、米国の目下の同盟軍となって戦争する国日本を実現しようとするもので、断じて許せない。
実は、日本に集団的自衛権を認めさせることは、日米安保体制下の米国の要求として早くから日本に押しつけられていたのである。
すでに2000年には、米国の国防次官補アーミテージの「米国と日本の熟成したパートナーシップに向けて」という報告書で、「日本が集団的自衛権を禁止していることは、日米の同盟間の協力にとって重大な制約となっている。この禁止条項を取り払い、そのことでより密接で効果的な日米安全保障協力ができる」「憲法法9条は日米同盟の邪魔ものだ」とはっきり言っている。
ラムズフェルド国防長官も、2005年二月の日米安全保障協議委員会で「日米の平和のための協力活動は、血を流してこそ本来の目的につながる尊いものになる」と驚くべき発言をした。
この米国の要求に屈従して、日本も戦争する国となり、世界のどこであれ、米国の戦争に参加して「血を流す」。これが安保体制下の日米同盟の本質であると言うのであり、その実現の第一歩が、まさにこの日本の集団的自衛権なのである。
このように、今、安倍首相が強く進めようとしている集団的自衛権の承認は、平和憲法9条をじゅうりんし、憲法改正を待たずしてこれを「死文化」させるものであり、絶対に許せない。
こうして、平和をまもるたたかいは、今まさに風雲急を告げ、われわれにとって大切な憲法9条が集団的自衛権の承認によって死文化されようとして、今日、重大な局面を迎えている。
今こそ、われわれ平和委員会は、日本を米国とともに戦争する国に変える集団的自衛権を断じて許さず、平和と戦争をしない国日本をまもりぬく国民的たたかいの先頭に立って奮闘しよう。
大阪平和委員会は、2月の組織員会で5月の総会と日本平和委員会全国大会(和歌山)の成功に向け仲間づくりについて経験交流と話し合いを行い、次の2点を意思統一しました。
①3月中に会員1300人、平和新聞1000部の峰をめざす。
②その2目標の達成後は5月の総会と全国大会に向け1320人、1020部の峰をめざす。
そして、3月に入り4組織(次の記事で紹介)などの大奮闘(女性や若者の加入が目立つ)で①の目標が達成されました。
次は、日平加盟50周年記念総会、和歌山全国大会に向けて「平和運動」100冊も含めた3目標への挑戦です。すべての基礎組織が新しい仲間、新聞・運動誌読者を1人純増し3目標を達成しましょう。
青年学生部、関西共同印刷所、堺市、西淀の4組織が大阪平和委員会の活動、特に仲間づくりを牽引しています。
青学部は100名以上の、昨秋10人余りで出発した関共は会員数3倍の組織にそれぞれ成長しました。堺市では3役の人選と再開総会の日程が内定する中、20名近い人が会長候補の田中さんの呼びかけに応え入会しています。
西淀川でも多くの青年を迎えて平和委員会準備会が立ち上がり、ドキュメンタリー映画「放射線を浴びた『X年後』」の4月6日(日)上映会の成功にむけ実行委員会(写真)を重ねています。
今度会長を引き受けることになりました丸山です。といってもまだ自分の中では大役過ぎて消化しきれていません。皆さんに頼りながら自分の出来ることでやって行こうと自分に言い聞かせています。
先日、3・1ビキニデーに参加してきました。草の根の運動をいろいろ学びました。たとえ小さな運動でもキラリと光るものがあると感じました。それは59年間あきらめず前を向いてコツコツ1年また1年と積み上げてやってきたからこその足跡だと思います。皆さんの運動に学び頼りない私ですが仲間の力を信じ一人ひとりのエネルギーを次へとつないでいくその橋渡しになれればと思います。本当に未熟者ですが皆さんのご指導ご協力よろしくお願いします。
八尾平和委員会 丸山豊美
西淀平和委準備会 中村玉枝
映画「放射線を浴びたX年後」を見るまでは、ビキニ事件は第五福竜丸のこと以外、深く考えたこともなかったので、ビキニ集会は初参加でした。
全体会での、海外からの報告やロンゲラップ島調査団報告、各地の取り組みでは、被爆者の聞きとり体験(聞きプロ)、地域の著名人や市長も巻き込んだ署名運動なども参考になり、第五福竜丸の生き証人の大石さんの体調不良を押しての訴え、ハーモニカ演奏の素晴らしさにも感動した集会でした。
モルモットにしたロンゲラップ島の除染も一部なのに「島に帰れ、さもなくば補償を打ち切る」というアメリカは、日本の汚染にも200万ドルの見舞金で済ませました。日本政府は、その年末で放射能調査も打ち切り、漁船だけでなく貨物船の被爆、日本中に死の灰が降り、近海の汚染魚や流通した汚染マグロを国民が食べて、皆被爆者だという事実も隠されたままです。おまけに原子力の平和利用だとビキニ事件直後の国会で原子力予算を組み、一路原発推進に走り、広島、長崎、ビキニに続いて福島と4度も被爆を出したのです。安齋さんの「身近なところを見て、ビビビッと感じ、意味を考え、臆せず一歩を踏み出そう」の訴えに、ビキニ被災の全容解明こそ急がねばならない課題だと思いました。「私で最後の被爆者にして欲しい」という久保山さんの墓前にバラを献花し、来年は青年にこそ参加して欲しいと思いました。隕石や通常兵器、飛行機ですら、一部地域に密集する原発に落ちたら、もう日本は住めない国になるのですから。
今年の夏は、初参加から48年経っての2回目ですが、青年たちに交じって原水禁世界大会の参加を決めました。そのためにも、いろいろな取り組みを重ねていこうと思いました。
関西共同印刷・梶原直人
今日初めてビキニデーに参加しました。恥ずかしながらアメリカの水爆実験で一隻の漁船の乗組員が被爆しただけ屋と思っていました。ところが集会、分科会などで学んでいくと被爆したのは第五福竜丸一隻ではなく1000隻(約2万人)が被爆していることがわかり衝撃を受けました。マーシャル諸島のロンゲラップ島の住民達も被爆していてこれに対してのアメリカの対応にもびっくりしました。
これから第2の広島、長崎、福島にならないようにしっかり学習して他人事ではなく自分自身の生死にかかわる問題として取り組んでいこうと思いました。参加してよかったです。
青年学生部・石村真一
昨年は個別での参加でしたが、今年は新大阪から大阪のみなさんと一緒で交流会,二次会にも参加して交流と勉強をさせていただきました。ありがとうございます。感謝です。
事務局次長 吉田一江
真実を知り、真実をつたえたい
アメリカが1954年に太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁でおこなった水爆実験から59年となった3月1日、被災漁船「第五福竜丸」の母港、静岡県焼津市で「3・1ビキニデー集会」が日本原水協主催で開かれました。全体で1700名、大阪からは40名が参加しました。私は大阪平和委員会の代表として初めて参加できました。
今回、念願かなって参加したのですが衝撃をうけることばかりでした。マーシャル諸島・ロンゲラップ島59年間のたたかいや、水爆実験で被爆したのはマグロ漁船だけでなく太平洋の島々と沿岸の日本全土・日本国民全員、その上アメリカ西海岸のすべてが被爆していたこと、その年1954年の12月31日をもってアメリカと日本政府で補償金200万ドルで水爆事件を封じ込め、国民の目をそらす狙いをもって「核の平和利用」と称して原子力発電所が日本でどんどんつくられていったことなど多くのことを学びました。
私のように初めての参加者が半数以上、若者も全体の半数を占め、ともに学びあえたこと、うれしく喜びを感じます。福島との連帯は真実に学び、真実を伝えること、そして核兵器全面禁止の流れをつくっているのは私たちなんだと確信できる集会で、ほんとうに参加できてよかったです。学習の楽しさ、平和の運動をもっともっと広げたいと思います。
大阪平和委員会は、剣先公園の集会と西梅田コースのデモ行進に参加しました。本部以外に旭、北、天王寺の各区と八尾市の平和委員会の旗がひらめくとともに、関西共同印刷所平和委員会の巨大プラカードも注目を集めました。