三 憲法違反のオスプレイ配備
1 侵略的攻撃兵器オスプレイの日本配備の目的
このように日本の航空法の原則を踏みにじり、沖縄はもちろん、日本中の国民の大きな反対を押しきってまでオスプレイを配備する目的は何かを検討しよう。
まず、オスプレイの軍事的侵略機能の絶大な強化である。防衛省が今年6月13日に公表した「オスプレイの普天間配備及び日本での運用レビュー」によると、在来のヘリに比較して、飛行速度は2倍、航空距離は5倍強の3900キロ、戦闘半径は4倍、輸送兵員数は2倍、貨物積載は3~4倍、空中給油により北朝鮮や中国への進行も可能となる。
これはまさに、米海兵隊の地球規模の遠征=「殴りこみ」の能力を高める侵略的攻撃能力の強化にほかならない。これは、オバマ大統領の「新防衛戦略」に基づいて、アジア・太平洋・中国に対するアメリカの軍事態勢強化のためであって、日本防衛とは直接関係のないアメリカの海外遠征軍“殴り込み部隊”である海兵隊の戦力強化が目的である。
2009年に策定された米海兵隊の「海兵隊・展望と戦略2025」という文書では、このオスプレイは従来のヘリと比較して、戦闘半径や速度などが高まり、「戦場における革命的効果をもたらす」とまで述べている。
また先に引用した防衛省の「環境レビュー」でも、米海兵隊の航空部隊は「最も過酷な状況下でも交戦能力を有し、将来の戦闘作戦への即応性を有して迅速で決定的な遠征部隊になる」と書いている。
2 平和憲法違反のオスプレイ配備
海兵隊のこのような侵略的先制攻撃能力を強化する武器を平和憲法をもつ日本にもちこむことが許されないことは明白ではないか。
オスプレイの導入と配備は、わが平和憲法第9条を踏みにじるもので、まさに憲法違反である。
『砂川の土深く杭打たるるも
心に杭は打たせるまいぞ』
とたたかわれた米軍基地拡張反対の砂川裁判闘争で、1959年3月30日東京地裁の伊達秋雄裁判長が無罪判決を下しその理由のなかで「安保条約による駐留米軍は、憲法九条に違反する」と明確に判示した画期的な勇気ある判決を想起するではないか。
こうして世界一危険と言われる普天間基地へのオスプレイの配備は、沖縄県民のいのちと安全を奪う危険があるだけでなく、わが平和憲法を踏みにじる重大な問題であることを強く訴えねばならない。それに加えて、米兵の卑劣な暴行犯罪に沖縄の怒りは高まり、米軍基地なくせの声が高まっている。
今や、アメリカの同盟国のなかで、米海兵隊や空母が常駐している国は安保条約下の日本のみである。安保条約廃棄のたたかいをも展望し、「オスプレイはアメリカへ帰れ」の国民的たたかいをまきおこして行かねばならない。
こうした全国にひろまるオスプレイ反対のたたかいは、憲法をまもり、平和をまもる今日の国民的たたかいの基軸である。
①会員、平和新聞読者、平和運動読者3つそろって増加し、近年で最大の組織となりました。
②関西共同印刷所で職場平和委員会が誕生しました
③若者が相次いで加わり青年学
生部が一回り大きくなりました
平和大会は、昨年の沖縄大会に続いて2回目だ。
45年以上にわたるASEANの歴史や議長国としての取り組みを聞き、領土問題などの解決や今後の東アジアの友好のためにも、ASEANのことを積極的に勉強していくことの必要性を認識できた。
国際シンポでは、アメリカの平和運動家からの、再選されたオバマ大統領の外交政策が今後もアジア最重視が続くこと、中国に対抗してのオスプレイ強行配備や無法な軍事訓練の持つ意味を聞いてぞっとした。フィリピン、グアムや韓国からの報告では軍備増強への粘り強い運動の重要性が強調されていた。フロア発言で、米軍基地は100%なくそうという主張に対し、まあ50%に減らしては?との声に、同じビルにいる暴力団が一人になったらいいのか?ゼロでしょう!の発言に、なるほど事実に基づく説得力のある伝え方に感心した。川田氏の、「TPPより、TPPP=環太平洋ピープルパワーで、展望を語る運動を」の呼び掛けにも勇気が出た。
2日目は、午前中は、東京大空襲資料館の見学で、大阪の「ピースおおさか」の存在意義が再認識でき、全国の空襲の歴史を学ぶことが重要だと思った。午後は、目的の第五福竜丸の見学で、やはり実物を見ると臨場感もあって勉強になった。その後の全国交流会(下の写真)でも各地の闘いには胸が熱くなったが、日比谷公会堂に行く前に、日の丸を掲げた集団が、「安倍内閣を実現しよう」などという物騒なデモ行進に遭遇し、選挙本番なんだと身の引き締まる思いだった。
最終日は、横田基地周辺で集会とデモ行進だったが、田口さんの作られたオスプレイの模型が評判で、人だかりができ、そういう宣伝も大切だと思った。
金曜夜の官邸前行動に参加したり、大阪の参加者との夕食交流も有意義だったし、隅田川に移る逆さスカイツリーも見られたしで、これから平和委員会結成に向けて頑張ります。
西淀川区 中村玉枝
11月11日、「関目学園福
祉まつり」で「平和のひろば」
が平和委員会はじめ各職場代
表からなる実行委員会により
開催されました。
大きな掲示板を用いた「原爆と人間」パネル展示に傘をさしながら見入る人。テント下では平和川柳に興じる子どもたち。雨中ながら平和な空間が出現していました。
原爆展以外にも「戦後67年いま基地問題を考える」、「戦争をしない国であり続けるために―今こそ平和憲法の意義を考えよう」「原発と自然エネルギ―を考える」など充実した展示が揃っていました。
テントにたまった水の排水、足元が濡れるのを防ぐための掲示板前の排水・整地など縁の下の力持ちがいてこそ実現した「平和のひろば」でした。
―核兵器禁止を憲法で定め、米軍基地を撤去させ、
原発を稼動させない国フィリピン、だが巻き返しも
11月7日から11日まで日本平和委員会の主催する「フィリピン訪問、交流・連帯の旅」に参加しました。全部で21名、大阪からは私1人だけでした。現地のバスでは日本法律家協会の呼びかけで参加した大阪府知事選挙に立候補された梅田章二さんを含む五名の方と合流しました。さらに現地の米軍基地撤去20周年記念イベントでは日本から参加したアジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会の方々ともいっしょになりました。
9月から乾期に入り天気の良い日が続き、思い出深い旅となりました。私が印象に残っているのは、20年前フィリピン上院(全国区、24名)で米軍基地継続を12名の議員が反対し(憲法では成立させるためには3分の2の16名の賛成が必要、12名反対したので残りの12名が賛成しても不成立)核兵器を持ち込むことのできるクラーク空軍基地とスービック海軍基地を撤去させ、広大な跡地を、商業・工業地区とし雇用を大きく増やしてきたことです。
基地継続に反対した12名の議員の一人、ウィグベルト・タニャダさんがイベントにメッセージを寄せてくれました。その中で「フィリピン国民は自分の足で立ち、自分自身の運命を描き、自由と独立の中で、威厳と名誉をもってより一層の進歩を成し遂げることができることを(内外に)示してきた」と述べられていることに日米安保条約でがんじがらめにされている日本国民の一人として大きな感銘を受けました。
しかし、フィリピンでは、米軍との新しい協定によって米軍と比軍との合同演習がなされており、原発も再稼動をいつでもできるようにメンテナンスがなされており、これらの巻き返しを許さないたたかいが必要です。フィリピンには格差と貧困の問題もありますが、歴史的にスペイン、アメリカ、日本、そしてまたアメリカの支配とたたかい独立をたたかいとってきた誇り高い国民として、これらの諸問題を必ず解決していくでしょう。
私たちにとっても、大変励まされる旅でした。
日本平和大会中に発見
樋口一葉が通った質屋の伊勢屋(写真・文京区本郷)
「伊せ屋がもとにはしらねば事たらず、小袖四つ…母君と我と持ちゆかん」
(明治52年5月2日一葉日記)