橋下大阪市長は、5月13日旧日本軍による「慰安婦制度は必要だった」、また、沖縄の米軍司令官に米兵の性犯罪を防ぐために「風俗業の活用」を勧めたと発言しました。この暴言に国内外から発言の撤回と謝罪、辞職を求める声が殺到しています。
6月はじめ松井大阪府知事が、米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)に配備されている垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ訓練の一部を府内で受け入れ、八尾市の八尾空港を給油地点とする意向を持つと報道されました。
大阪平和委員会は6月3日に橋本敦会長名で知事に発言の撤回を求める声明を発表しました。
八尾、和泉、北区、旭区の平和委員会も抗議声明を出しました。
地元の八尾平和委員会は同日に大阪安保などとともに、4日に小松前日本共産党府議らと一緒に知事に発言の撤回を求めて緊急申し入れを行いました。
こうした動きに背中を押されて、5日八尾市会議員27名中の23名(維新関係4名を除く)が「八尾空港は住宅地や小中学校など教育施設などに囲まれた市街地に位置し、安全性が確保できていないオスプレイ訓練の受け入れは、27万人の市民の安全・安心を守るという観点から…到底容認することはできない」との抗議文を知事に提出しました。
しかし、知事は地元の声を無視して府民のいのちより軍事を優先し菅官房長官に「訓練受け入れ」意向を表明したと報じられています。
ふたりが暴言を撤回、謝罪し、公職を去るまで運動を強化しましょう。
6月10日、千坂日本平和委員会事務局長が、杉本春夫共産党八尾市議のガイドで八尾空港を視察しました。田口大阪平和委員会理事長、上羽事務局長、奥村八尾平和委員会事務局長が同行しました。
以下は、この視察を通じてわかったオスプレイ飛来の問題点です。
①八尾空港は離着陸回数の多さは日本有数。一時間余の視察中に10機以上が離陸した。オスプレイは2~4機の編隊飛行が常。
この編隊のために民間機の空港使用が不可能に。
②定期便は飛んでいないが、10余の民間航空会社がセスナやヘリなどの小型機を運航している。自衛隊も利用している。自衛隊機の墜落事故も起き、右写真の東50mの所にその破片が飛んできている。
③周辺住民は大きな声では言わないが騒音に苦しんでいる。とくに冬場、自衛隊のヘリが朝5時からエンジンを始動させうるさがられている。オスプレイのエンジンテストは離陸まで通常30分。
④滑走路は二本(長い方は1500m弱)で風向きに応じて使い分けている。
⑤オスプレイの機体が不安定になる「転換モード」に入るのは、着陸地点の5キロ手前から。上の写真でわかるように空港5キロ圏内には工場、住宅、幼稚園、小・中学校、病院などが密集。
⑥平成一桁代以降滑走路の補修は行われていない。オスプレイの離着陸にはとても耐えられない。
5月25日、日本平和委員会全国大会が和歌山で開かれ、方針提案のなかで千坂事務局長はこう紹介しました。
この大会には大阪平和委員会からは14名が参加し、田口理事長が役員選考委員の役割、上羽事務局長が運営委員として全体討論の発言整理の役割を担い、吉田事務局次長が財政分科会で大阪の財政確立の経験を披露するなど大会運営に貢献しました。
討論では、上羽事務局長が会員1300人、新聞読者千部の壁を突破した教訓と秘訣を述べました。飯田正樹・関西共同印刷所平和委員会長(左写真)も「昨年10月の創設時より会員数を約3倍化した。ニュースの発行、掲示板の独り占めなど関共平和委員会の知名度アップの努力の中、断られてもへこたれず何回も繰り返し働きかけて会員を増やしてきた」と発言し会場からの拍手を受けました。
《数々の表彰・入選》
全国大会機関紙誌コンクール入選
【機関紙・地域職場基礎組織部門】旭区平和委員会
○企画賞:八尾平和委員会
○新人賞:関共平和委員会
【教宣資材部門】
大阪平和委員会発行の次の3つの教宣資材
◇「大阪の平和運動―略年表」
◇「憲法九条を瞳のごとく愛して」(小林徳子著)
◇青年学生部「平和委員会メジャー化プラスター」
【HP部門】大阪平和委員会
《全国大会仲間づくり表彰》
【会員部門】
38人 鈴木 久 (2位)
24人 片方真佐子(3位)
23人 田中 薫 (4位)
20人 小林徳子 (5位)
13人 中村玉枝 (8位)
10人 近藤 正 (10位)
【機関紙誌部門】
38部 鈴木 久 (1位)
25部 片方真佐子(3位)
同 田中 薫 (3位)
東大阪平和委員会は6月1日、本年度総会を11名の参加で開催しました。まず、川添一彦・医療生協かわち野副理事長がパワーポイントを使って震災復興とノーモア原発について、次に上羽事務局長が靖国史観の危険について報告を行いました。その後、運動方針の提案と意見交流、と続きました。最後に毎月会議を持ち運営の中心を担う小林徳子会長などの4役を含む本年度役員が決まりました。
「福井県に世界一原発が集中立地しているとは驚きだ」「靖国神社が、天皇のために亡くなった普通の人々が神として祀られている特異な神社で、日本が再び戦争する国に変えられ戦死者が出る国になれば新しい祭神が靖国神社にこれからも増え続けていくとは知らなかった」と出席者から感想が出る有意義な学習会にもなりました。
天王寺平和委員会は5月19日、
15名で真田山陸軍墓地見学をおこないました。ガイドの吉岡さんは「この墓地は1871年設置、1945年の終戦まで陸軍が管理。日本各地の陸軍墓地の中で最古。5299基以上の墓碑が階級ごとに区画された区域に立ち並ぶ」と説明しました。
参加者の感想―「軍役夫」の墓に『職工』と入っていたのもフーンと感心しました。貴重な文化財と思います。
5月11日大阪平和委員会の総会にお邪魔してまいりました。今回私は総会議長という大役を担当しました。
午前の総会の部の質疑・討論では各基礎組織からの発言がありました。そこでは私は青年について発言させていただきました。各5分程度の発言ということにも関わらず、11分も話してしまいました。これから各基礎組織の青年と一緒に楽しいことをしていきたいということ。青学部は多様性を大事にしたいということ。多くの学生に平和について考えるきっかけを与え、また思っていることを話せる場を提供したいということについて話しました。
話した内容はさておき、私が話しているときのほかの皆さんの顔が印象的でした。総会の参加者はお年を召した方が大半を占めていたのですが、その人たちが、私が一言発する度に微笑んで、うなずいてくれました。得も言えぬ安心感というか、包容力を感じました。少し感動すら覚えました。
午後のレセプションの部ではまず初めに西弁護士の憲法学習会。憲法の「け」の字も知らない私でしたが、西弁護士の非常にわかりやすい説明、たまに挟むユーモアもあり、非常に楽しく憲法のさわりを知ることができた気がしています。平和委員会に入っていなければ私はこういった学習会に参加することもなかったですし、考えることもなかったかと思います。そういった意味でもまた「きっかけ」をもらえた気がします。
そのあと、各方面からの祝辞。私が感動したのは日平代表理事の畑田さんのお話。内容もさることながら、90歳にもなる方が大勢の前に立ち、堂々たる口調で発言されている姿を見ただけで凄みを感じました。なんというか、こういう人になりたいとさえ思いました。
大阪から青年が3名参加。
以下は飯田さん(関共)の感想
6月2日に東京・明治公園と国会議事堂前で行われた反原発集会に、東京で合流した井上佐介くん(左下写真のうちわを持つ21歳の学生)と一緒に大阪平和委員会代表として参加しました。
気温の暑さに負けない、熱い反原発の思いを持った全国の人々が1万8700人と6万人が集まり、反原発をアピールしました。それに参加できて本当に良かったです。
びっくりしたのは、新幹線車両2両と数十席を占める大阪からの参加者数!
そして、品川駅で降り、原宿駅、明治公園へと進みました。明治公園では、福島県民や原発労働者の実態、全国の青年や女性の交流、農産物を売るテントなど、様々な企画がありました。
いよいよメイン集会が始まり、主催者、福島県の青年たち、日本共産党の志位委員長などがあいさつしました。
全国のみなさんの発言を聞けて、本当に元気をもらいましたし、原発をなくす活動を広げていきたいと思いました。
その後、デモ行進へ元気よく出発。原発賛成派がデモの途中に入り、立ち往生もありましたが、沿道や車、建物から手を振る人や写真をとる人がいて、アピールできました。40分歩き、四ッ谷駅で終了。そこから途中の自民党本部前を通らしてもらえず遠回りで国会議事堂へ。何を考えとんねんと思いました。すでに多くの人が国会を埋めつくし、周辺を包囲していました。私たちは裏の議員会館前でシュプレコールをしました。
ここで感じたことは、反原発をかかげる様々な団体が集まってこそ、6万人が国会周辺を埋めつくす。一つの要求を共有する、一点共同の大事さを実感しました。全国や大阪でも様々な問題で広めていきたいです。これからは国民平和大行進、参議院選挙、原水爆禁止世界大会など、様々なことがあります。これらはみなさんの要求をアピール、実現する絶好の機会です。関西共同平和委員会としても、日本や世界の平和を実現するために、みなさんと一緒にやっていきたいです。