「オスプレイ来るな!やお市民集会」が6月23日小雨のなかで300人の参加で開かれました。
主催は八尾平和委員会等10団体でつくる「オスプレイ来るな!八尾連絡会」。
集会では、八尾平和委の事務局長も兼ねる奥村正憲事務局長が「松井大阪府知事の『八尾空港へのオスプレイ訓練の受け入れ』発言が、八尾市民の間に不安と怒りを呼び起こしている。小野寺防衛大臣は、『受け入れには地元の同意が必要』と発言している。八尾市長が反対を表明し、市議会の圧倒的多数の議員が会派を超えて抗議を表明しているが、もっと運動を広げて、参院選前に『八尾空港への訓練移転』断念を勝ち取りオスプレイ訓練の全国展開に歯止めをかけよう」と基調報告をしました。
また各界発言では、飯田さん(志紀中学校元教諭)が「空港に近い志紀中学では教室内に空調設備がなかったころの夏場は窓を開けて授業をしていたのでセスナ機の離陸時の騒音により先生の声が生徒に届かないことがあった。オスプレイの騒音はその比ではない。また欠陥機と言われている。授業への影響と生徒の安全が心配でしかたがない。八尾での訓練を阻止するため全力を尽くす」と述べました。
7月15日には、八尾空港に隣接する平野区でも「オスプレイ来るな!平野区民集会」が60名の参加で行われました。
同集会は八尾市民に連帯と支援を行うため7月2日に結成された「平野区民連絡会」の主催。
両集会後、デモ行進に移り、参加者は「オスプレイは八尾飛行場に来るな!」と街頭の市民に力強く呼びかけました。
大阪平和委員会は両集会に参加しました。
両集会後、デモ行進に移り、参加者は「オスプレイは八尾飛行場に来るな!」と街頭の市民に力強く呼びかけました。
大阪平和委員会は両集会に参加しました
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6月15日、小雨のなか京丹後市丹後町の海水浴場駐車場でXバンドレーダー配備反対集会が開かれました。500名が参加したこの集会は京都平和委員会などからなる「京都に米軍基地いらない府民の会」が呼びかけたものです。
集会参加を通じて判明したXバンドレーダー配備の問題点をあげます。
①Xバンドレーダーは、米国がミサイル防衛における監視用や迎撃ミサイルのための目標捕捉のために開発したものです。人体に危険な強い電磁波を出すので、周辺150mの立ち入り禁止区域が設定されます。Xバンドレーダーがすでに配備されている青森県・車力では基地からレーダーまで2kmあるのに対し、経ヶ岬はわずか数百m。健康や暮らしへの影響が心配されます。
②イラク戦争で米軍が真っ先にレーダー基地を破壊したように、戦争では敵軍の「目」に当たるレーダーを破壊するのが定石となっています。レーダーが配備されたら敵軍の攻撃にさらされるリスクが大きくなります。
③レーダーとともに160人の米兵が配備されます。車力と同じように、住民は米軍犯罪のリスクにさらされます
④レーダー基地の候補とされている地域は、水源が限られている地域です。地元住民からは米軍基地が一日5万リットルもの水を使うことに対し不安の声があがっています。
本集会には玉置(左の写真左)、東田(同右)両副理事長と上羽事務局が参加。日本平和委員会から若い黒津記者が遠路はるばる取材にきていて、集会でも発言しました。
生野区の北田さんは、「憲法改悪は絶対に許さないと自宅の3階から2階にかけて大きな垂れ幕を掲げています。
「私は日本を戦争する国に変える憲法改定に反対します」と黄色の布地に黒と赤で書かれており、よく目立ちます。「安倍内閣や維新の会の憲法改悪の動きを許してはならないと思い活動歴の中で初めて出しました」とのことです。スゴイですね。
(生野区平和委員会
「ニュース平和」7月号より)
6月30日奈良からバトンタッチされた国民平和大行進(幹線コース)は柏原市を出発し、暑い日差しと梅雨空にも負けず7月7日兵庫県川西市役所まで達し兵庫県へ引き継がれました。
大阪平和委員会からも浅田健司さん(和泉)、田中薫さん(堺) 、北川恒夫さん(旭区)、大島守さん(旭区)、馬場忠雄さん(天王寺)が府内通し行進をするなど多数の会員が行進しました。
国際政治の舞台では、原水爆禁止運動が当初から訴えてきた核兵器廃絶を求める流れが急速に支持を集めています。5月にジューネブで開かれたNPT再検討会議第2回準備委員会では、南アフリカが提案した核兵器の非人道的影響を告発し、廃絶を求める「共同声明」に80ヵ国が名を連ねました。
「核兵器も原発もいらない」声を日本と世界中に届ける次の節は「原水爆禁止2013世界大会」です。各基礎組織から代表団派遣の取り組みを強めましょう。
青年3人が飛び入り行進
7月4日の北区の平和行進(福島区鷺洲中公園~都島区役所)で途中北区役所での休憩中に、3人の若者(写真)がやってきました。
専門学校生の友人同士で、ここからデモに加わり、他の参加者から大歓迎されました。「原発ゼロ」集会にも参加しているそうで、威勢の良いコールでいっしょに行進しました。
(北区平和委員会 河嶋克博)
6月29日、シンポジウムが約300名の参加で行なわれました。
ピースおおさかは、この3月末に館長以下ほとんどの職員が交代しました。出された「ピースおおさか 展示リニューアル構想」を見ますと展示内容では①「大阪空襲」に限定しています。また②「焦土からの復興/平和の創造」として「大阪万博までの復興の実相」など学ばせようとしています。つまり「大阪府民は大阪空襲でひどい目に遭ったが、皆の努力で立ち直った」というもの(戦後の保守政治を合理化?)にし、十五年戦争による加害と被害の実態から戦争の悲惨さを学び、平和を創造するという立場から180度変質させるものにしようとしています。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意する」との平和憲法の観点が全然ありません。
この点で、注目されたのは、この日の発言で、大阪戦災障害者・遺族の会の伊賀孝子さん(大阪空襲で母と弟を亡くし、父と自分は重症)が「私は、傷ついて初めて戦争とは何か、日本軍が行なった戦争、日本人の死、身内の死だけを悼むのでなく日本軍と戦った人々への想いと共にどの地にあっても戦争は絶対にしてはならない、戦争は人間の手で始めるものであり、人間の手で止める事が出来るのです」と被害、加害を繰り返さないことを訴えられていることです。これこそ、ピースおおさかの理念です。変質を許さない決意を固めています。
(理事長 田口洋二)
守口市職労の藤木書記長が大阪平和委員会の理事も務めていることから、激励とお礼もかねて7月3日開催の定期大会に来賓として出席しました。
維新系の西端市長が「改革ビジョン」(案)の名のもとに市民課窓口と保育所調理業務の民間委託化、市民会館の廃止など公共施設の見直しを画策―これに対し市職労の仲間は市民や民主団体とともに「守口の街づくりを考える会」を結成しシンポジウムを開催するなど「改革ビジョン」(案)を押し返し住民が主人公の街づくりの展望を拓こうと頑張っている姿に接し、逆にこちらが励まされました。
「維新の会」による公務員バッシングは住民いじめの「露払い」だとも教えられました。
(事務局長 上羽治雄)