2013年原水爆禁止世界大会(長崎)は、全日程を終え8月9日に閉幕。大阪平和委員会からは府役員11名が参加しました。
参加会員2人の感想を紹介します。
「大会前とは違う自分に」
西淀川平和委準備会 中村玉枝さん
世界大会は、学生時代の広島大会以来の44年ぶりの参加です。
オリバー・ストーン監督参加の分科会「映像の広場」では、くじ運の悪い私だけチケットが当たりましたが、青年たちも一般枠で参加できてほっとしました。
映画「おりづる」では、個別訴訟と集団訴訟の違いと幅広い運動の大切さや、裁判官の心を動かすのは、目と耳で被爆実態を伝えること、事実の重みだという話に納得でした。私は、「放射線を浴びたX年後」の自主上映を通じて、映像が持つ威力を実感していたので、大胆にも手を上げてフロア発言してしまいました。DVD鑑賞を地域で広げていきたいし、肥田舜太郎先生の講演も青年たちに聞いて欲しいと思いました。
オリバー・ストーン監督やピーター・カズニック教授の話では、特に「日本人は、ドイツのようにもっと歴史から学ばないから反省も出来ない。造花やディズニー映画のような上辺でなく、真実を知らせていくことが重要。アメリカをよくしたいから闘っている、歴史こそエキサイティングなものだ」という訴えは胸にぐっときました。
昼に入ったお店に11時2分(原爆投下時刻)で止まっている古い時計が10個近く飾ってあり、市民の思いが伝わってきました。
西淀から34名の参加、顔と名前が一致しませんが、青年たちとも少しは近づけた3日間。誰もが、大会参加前とは違う自分になったことを実感できたと確信します。
「世界大会に参加しました」でなく、これからが新たなスタートです。
核兵器や原発だけでなく、通常兵器も無くしていくことの大切さ、憲法九条を持ち、被爆体験のある日本だからこそ、世界に発信できることの重みをかみしめて、他県の経験に学び、地域で大きな視野で幅広い活動をしていきたいと思いました。
そして、最後の合唱「ウイー・シャル・オーバーカム」では、「someday(いつか)」を「today(きょう)」に変えて歌ったことも、未来を予感させるものでした。
「世界大会に初参加して」
青年協議長 岩本 悟さん
私にとって初の原水爆禁止世界大会。すべてが新鮮でした。
2日目の分科会。青年のひろばに参加し、被爆者の方の話を聞きました。すべてが勉強でした。
広島では6日まで空襲警報が鳴っても爆弾が落とされないことが多く、少し空襲への警戒心が薄れていたかもしれないという話。終戦の際、戦争に負けたことが悔しくて悔しくて涙した話。後者は、学校教育による洗脳の話でした。私もそういった教育がなされていたことは話には聞いていましたが、やはり当事者から自分の耳で聞くことで
より一層心に響いた気がします。これこそ現地で当事者から話を聞く意味だと思います。
ほかに私の班の被爆者の方の話で印象的だったのは、戦後すぐ、原爆投下後散らばってしまった友達の多くと再会でき、様々な活動をして「楽しかった」というもの。被爆者の方から「楽しかった」という言葉が聞けたのは貴重な体験のように思います。
班長をやらせていただきましたが、そちらは至らないことが多かったと思います。
その日の晩は青年企画の交流会。40人近く集まり、とにかく楽しかったです。入会してくれた方も何人かおり、そういった方と今後活動ができると思うと楽しみです。たつみコータロー参議院議員にも来ていただき、さらに盛り上がりました。
今回の原水爆禁止世界大会(長崎)には大阪から多数の青年が参加しました。
2日目の晩には青年中心の夕食交流会(約40人参加)が和やかに行われました。
大阪の青年らは3日目の閉会総会でも辰巳孝太郎新議員とともに登壇し、平和行進や新署名などの運動について全国にむかってアピールしました。
こうした元気な取り組みに信頼を置いた青年が次々と大阪平和委員会に加盟してくれました。
結局、世界大会中に大阪平和委員会は青年会員6人(新聞5部)という新しい仲間を迎え入れることができました。
7月28日(日)大阪平和委員会事務所で高校生平和サークル「たこピー」の高校生3名が広島で被爆した寝屋川市在住の松山五郎さんから被爆体験について聞き取りを行いました。
この6月から「たこピー」は大阪平和委員会の事務所を活動の拠点としています。
参議院選の翌日午前10時、辰巳孝太郎日本共産党新議員は、忙しい中、山本陽子会員(比例区候補)とともに事務所にきて勝利の報告を行いました。
参議院選挙のため延期されていた常任理事会が7月31日(水)20名の出席で開かれました。まず、橋本会長が「私は4期24年にわたり参議院議員として平和のため奮闘した。若い辰巳孝太郎会員がその跡を継いでくれることになり、うれしいかぎりだ」とあいさつをのべました。
次いで、事務局長が年間行事計画を含む議案を説明しました。その後、出席者全員がここ2カ月間の取り組みについて夫々発言しました。
平和勢力が前進した参議院選挙直後という事もありとても元気な会合となりました。
決まった行事は、左記の通りです。
東大阪平和委員会(小林徳子会長)は「『オスプレイ飛行訓練受け入れ提案』の撤回を求める要望書」を野田・東大阪市長に
提出していましたが、7月9日同市長は「反対せざるを得ません」との回答をよせました。
また、和泉平和委員会などの要請行動を通じて和泉市議会でも「オスプレイの『訓練受け入れ』発言に抗議し、『訓練受け入れ』を撤回することを強く求める」との意見書が全会一致で採択(7月26日)されました。
「環境レビュー」で名指しされた八尾・信太山自衛隊両駐屯地を抱える八尾市と和泉市での反対表明は重要な意義があります。
8月8日、「オスプレイ来るな八尾連絡会」の小松久(日本 共産党元府議)と田口洋二(大阪平和委員会理事長)両事務局次長は府庁で府知事あてに「オスプレイの八尾空港での訓練受け入れ提案の撤回を求める要請書」(417名)と署名(1447筆)を提出しました。
8月5日沖縄県中部で米軍ヘリ墜落事故が起こり、八尾にオスプレイ訓練を受け入れる危険性が改めて浮き彫りになった中での緊急要請行動となりました。
7月28日(日)午後、オスプレイ12機追加配備のための米軍岩国基地(山口県岩国市)への陸揚げを前に、「追加配備抗議市民大集会」(参加者1200人)が岩国市役所前公園でひらかれました。
大阪平和委員会からは3人(うち青年2人)が連帯参加しました。
天王寺区「戦争展」は7月26日(金)から2日間87人の参加で行われました。
この戦争展のテーマは、「戦災と原爆」。内容も「大阪の戦災」と「原爆と人間」の両パネルの展示とともに、戦争体験の話、映画「一枚の手紙」の上映など多彩なものとなりました。
八尾戦争展は8月4日(日)プリズムホールで400名の参加で成功しました。戦争展では、展示と並行してコンサートも実施されました。
橋本敦会長名で安倍首相らに4つ抗議文を送付しました。全文は大阪平和委のホームページに掲載しています。ご覧ください。
○「『ナチス』肯定の暴言を行った麻生副総理の辞職・罷免を求める」(8月5日)
○「沖縄での米軍ヘリ墜落事故に抗議し、飛行中止とオスプレイの追加配備中止・基地の全面撤去を求める」(8月6日)
○オスプレイの沖縄への追加配備の強行に断固抗議する(8月12日)
○安倍首相の靖国神社玉櫛奉納への抗議(8月16日)