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とりくみ予定・新着など

◆「平和新聞」大阪版
(2013年12月25日 2039号)

*新年のあいさつ~世紀を越えて、平和を守る決意新たに~
◆橋本敦大阪平和委員会会長の新年の訴え
◆小林徳子副会長の新年あいさつ

*秘密保護法に反撃ー西淀川平和委結成
◆平和委員会再建のとりくみ

*日本平和大会&岩国基地調査に参加して
◆大阪平和委員会副会長 近藤正

*大阪平和委員会~秋のアウトドア・レポート
◆大和飛行場跡地&焼き芋ツアーに参加して
◆大阪城平和散歩~奈良平和委と共催~


*ビッグラブピーステイ ~大阪・愛知青年学生合宿
◆大阪平和・愛知平和委 青年学生合宿 (11月30~12月1日)

*今月の事務局からのメッセージ・連絡


《新年のあいさつ》

世紀を越えて、平和を守る決意新たに

大阪平和委員会会長 橋本 敦 

 一、許せぬ秘密保護法強行の暴挙

 去る12月7日、安倍内閣は全国に大きく広まり高まる国民・各界の強い反対を無視して、秘密保護法を国会で強行可決した。
 われわれ平和委員会も直ちに厳しい抗議の声明を出し、アメリカの目下の同盟者となって日本を戦争する国にしようとするこの憲法違反の悪法の廃止めざしてたたかう決意を表明した。国民の知る権利を奪って暗黒の政治をすすめ、戦争への道を固めるこの悪法をわれわれ平和委員会は断じて許せない。こうして、大きな怒りの下で新しい年を迎えることとなったが、まさにこの新年は、われわれの決意を新たに平和のたたかいを、さらにさらに大きく進めねばならない大切な年となった。
 わが平和委員会は、憲法と平和をまもるこの国民的たたかいの先頭に立って、今年も力一杯奮闘しよう。

二、今に生かしたい幸徳秋水の平和への熱い思い

 毎年1月になれば、私はいつも幸徳秋水への思いを熱くする。
幸徳秋水が大逆事件の無実の罪で死刑に処せられたのは、1911年(明治44年)1月24日であった。
 その幸徳秋水は、1901年(明治34年)5月18日に、片山潜・安部磯雄らとともに熱烈な「軍備全廃綱領」をかかげて社会民主党を結成した。その綱領は、戦争反対と軍備廃止という平和への熱い信条を次のように宣言した。
 「戦争は素より、これ野蛮の遺風にして、明に文明主義と反対す。もし軍備を拡張して一朝外国と衝突するあらんか、その結果や実に恐るべきものあり。(中略)もし不幸にして敗戦の国とならんか、その惨状もとより多言を要するまでもなし。兵は凶器なりとは古人も已にこれを言えり。今日のごとく万国その利害の関係を密にせるに当り、一朝剣戟を交え弾丸を飛ばすことあらば、その害の大12月1日「秘密保護法制定反対」御堂筋パレードなるは得て計るべからず。ここにおいて我党は軍備を縮小して漸次全滅に至らんことを期するなり」
 今から百年も前、富国強兵・軍備拡張を急ぐ天皇専制の時代に、この流れに抗してこれはなんと勇気のある平和の訴えであろうか。
 ところが、やがて日露戦争に向かわんとする明治政府は、この戦争廃絶の平和綱領に激怒し、治安警察法により社会民主党を、結成したその日に解散させた。
 まさに、この軍備全廃宣言発表の日が、社会民主党の最後の日であった。斯くして「恒久平和」を宣言したわが国最初の社会主義政党である社会民主党は、ただ一日の存在をも許されなかったのであった。
 しかし、幸徳秋水らは、これに屈せず、平民新聞を発行し、戦争反対・平和のたたかいを断固として進めたのであった。
 今、まさに厳しい激動の時代に新年を迎えるにあたり、世紀を越えて、この幸徳秋水らの平和への熱い思いをわが胸によみがえらせよう。
 そして、今迎えた新しい年も、わが平和委員会は、平和という世界的正義実現のために力一杯頑張りましょう。


新年の抱負


大阪平和委員会副会長 小林 徳子 

 闘いの年があけました。特定秘密保護法が強行採決され、戦争する国へと突き進む危険を感じますが、今年はもっともっと平和を願う勢力を大きくし廃止させる闘いを示していきたいです。また福島原発事故から丸3年にもなるのにまだ解決策も進んでいません。4月からは消費税もあがり、国民生活はますます苦しくなります。だまっておれません。

 安保条約廃棄、平和民主主義を守る運動、原発ゼロをめざす運動、消費税増税反対、アメリカ従属のTPP反対の運動に元気いっぱい頑張りましょう。  

 仲間づくりも忘れずに!



平和委員会再建のとりくみ~淀川平和委員会

秘密保護法に反撃ー 西淀川平和委結成

―手作り料理付き総会―
 「秘密保護法が成立し怒りと不安でいっぱいだったが、この会で皆と一緒に撤廃を求める行動もできるので心強い」

 12月12日(木)夜、手料理付きの盛大な総会が開かれ西淀川平和委員会が再建されました。

 総会では、最初に中村玉枝事務局長から総会に至る経過報告、次に上羽大阪平和委事務局長から「故沓脱タケ子参議院議員など平和革新勢力の強い西淀川で平和委が再建されたことは喜ばしい。大きな発展を期待している」と連帯の挨拶があり、ついで近藤正副会長が「沓脱さんの先輩・故林喜彦医師は大阪平和委の元会長。大阪平和委を先導してきた地で会が再建された意義は大きい」と述べ自作の川柳と「西淀川平和委員会幟」を内科医の穐久英明会長に贈呈しました。

 そして、「平和を願う全ての人々と手を結んで、学習し行動する」などの申し合わせ、会計報告、新役員が了承された後、穐久会長が「林医師の遺志を継いでがんばる」と挨拶しました。
 総会後は、全参加者が自己紹介をし、冒頭のような平和への思いを語りあいました。
この総会には大阪平和委から関西共同印刷所会長など5名が連帯参加し、八尾と関共がメッセージを寄せました。

 総会前にはプレ企画が50人以上の参加で実施されました。今夏平和委員会準備会を中心に取り組んだ福島支援連帯・交流行動についてDVD上映された後、準備会の中心となってきた中村さんが岩国・日本平和大会(11月)参加報告を行いました。

 総会は、報告会とは別の会場で午後8時から行われましたが、報告会参加者の大半が合流し、総会の場で6人が加盟、7人の新聞読者が誕生しました。


日本平和委員会参加報告(11月15日~17日)

日本平和大会 岩国基地調査に参加して

大阪平和委員会副会長 近藤 正

 なぜ、岩国に最初にオスプレイが陸揚げされたのか。私の大きな疑問でした。このたび、日本平和大会が岩国市で行われ、1・4倍に拡張された米軍基地を調査するツアーに参加して驚かされました。

 岩国の米軍は「殴り込み部隊」の異名を持つ海兵隊の航空部隊です。岩国基地「滑走路沖合移設」事業は1997年に始まり、一石三鳥の拡張工事でした。一つは、滑走路を沖合に移し、幅60m。戦闘機が二機併走しながら離着陸できます。二つは、愛宕山を削ってその土砂を埋め立てに使い、削られた跡に米軍住宅を作ること。三つは、滑走路が沖合に出たため水深が深くなり(13m)、大型艦船が接岸できるようになった結果、オスプレイを運ぶことに成功しました。

 オスプレイは米海兵隊輸送機として沖縄に配備する予定のものでした。もちろんブラウンルート(中国地方)やオレンジルート(四国地方)など日本全土で低空飛行訓練を計画しています。

 日本国土全体の「沖縄化」が始まっています。

 さらに、心配なのは、沖縄の辺野古新基地建設の問題です。V字型滑走路を建設するためにサンゴ礁を削り、沖合に土地を埋め立てることになります。それだけ水深が深くなれば大型艦船も着岸可能となるでしょう。土砂をどこから持ってくるかは不明ですが、その跡地に米軍用の住宅が建設されれば、岩国の二の舞です。普天間基地さえ最終的に手放すかどうか疑問は募るばかりです。ますます名護市長選挙のたたかいが重要さをましてきたと思います。

岩国に一石三鳥基地強化 


大阪平和委員会~秋のアウトドア・レポート
大和飛行場跡地& 焼き芋ツアーに参加して

青年学生部 R・K

 11月23日(土)、1944年大和海軍航空隊飛行場の建設時にあった日本軍「慰安所」と「飯場」跡地を見たあと、三角縁神獣鏡が33枚出土した黒塚古墳を見学しました。

 飯場跡は当時のままで今にも崩れそうでしたが、人が住んでいて衝撃でした。

 午後からは大和三山が見える畑でいざ焼きいも! みんなでアルミホイルで巻いて火にくべ、煙を浴びながら焼いた芋は最高に甘くて自然のおいしいアジでした!



大阪城平和散歩 ~奈良平和委と共催~


  10月19日(土)曇天のなか、大阪と奈良平和委員会共催、森田敏彦さんのガイドで「平和散歩」が行われました。参加者は大阪17名(うち青年学生部2名)、奈良8名計25名。JR森ノ宮駅で弁当と柿を各自受け取り出発。

 森之宮神社の狛犬と鳥居を見学した後ピースおおさかに到着し館内を見学しました。一方、両平和委員会の事務局長と大阪原水協事務局長ら4名は「ピースおおさか」の展示リニューアルにあたって両委員会名の要望書を笠脇ピースおおさか事務局長に提出し、「ピースおおさかの設置理念」を守り、かつてのアジア・太平洋戦争について加害と被害の両面を伝える展示リューアルにしてほしいと強く要請しました。退館後は、「手と足をもいで丸太にしてかへし」の川柳で有名な鶴彬の碑を大阪平和委員会の近藤副会長のガイドで見学してから、弁当と柿を味わいました。

 午後は再び森田さんから詳しく説明をしてもらいながら大阪城内の戦跡(地下壕・旧第4師団司令部・空襲被弾跡・中国から略奪してきた狛犬など)を見て回り散歩を終えました。

 「大阪がなぜ軍都と呼ばれていたかが、森田さんの案内と説明でようやくわかった」「鶴彬の碑が誕生するまでの近藤さんの苦労話はおもしろかった」

大阪平和・愛知平和委 青年学生合宿 (11月30~12月1日)

ビッグラブピーステイ ~大阪・愛知青年学生合宿


 11月30日(土)から大阪と愛知の青年が16人三重県もくもくファームに集まり合宿を行った。

 1日目は「憲法と私」をテーマとした学習会。一人一人が報告者となり、「自分たちにとって憲法とは何か」を語り交流し、その後ディベート「憲法は変えるべきか、否か」を行った。夜は、大阪・愛知それぞれがコントなど企画を出し合い楽しんだ。

 2日目は、大阪・愛知それぞれ今年取り組んだ様々なこと(総会、参議院選挙、合宿、平和大会など)の報告を行った。

 総じて、相互に学び合い、認識、交流を深めた2日間だった。

今月の事務局からのメッセージ・連絡

《事務局より》
◇沖縄県知事が辺野古埋立て申請を承認する気配
◇名護市長選何としても勝たねば…大阪平和からは私含め3人が現地支援に入る
◇「きな臭い時代」だが、人間としての責任の歯ブラシの毛は失うまい
◇会員、新聞数とも80年代以降最高水準での迎春。皆さんの奮闘に感謝(U)
◇能勢モチへのご協力ありがとうございました(S)