下欄に主な内容を掲載しています。
先のアジア・太平洋戦争終結後、多数の敗残兵が戦地から引き揚げてきた舞鶴港…
その沖300mの地点で1945年8月24日3,725名の朝鮮人労働者とその家族を乗せた「浮島丸」が機雷に触れて沈没し多数の死者を出した「浮島丸事件」…
◆開催日:3月29日(日)
◆費用:7,000円
(バス代/船代・昼食代・入館料すべて込み)
◆申込み先 大阪平和委員会まで
Tel 06-6765-2840
FAX 06-6765-2837
《稲嶺ススム市長再選さる》
1月19日(日)投開票で行われた沖縄県名護市長選挙で稲嶺ススム市長が自民党推薦・基地容認の末松候補に対して4155票の大差をつけて勝利しました。仲地博・沖縄大学副学長はこの選挙について「人口数万の小さな市が、国と県にこれほどの痛撃を与えた選挙は、日本の地方自治史上でもまれ」(1月20日付「沖縄タイムス」)だと評しています。
《辺野古の新基地建設拒否》
相手の末松候補は、日米両政府、防衛省の全面的支援を受け「基地交付金で地域活性化の起爆剤にする」と訴えていました。この候補者を落としたことは、名護市民が辺野古移設拒否の審判を下したことになります。新基地建設の工事のためには、港湾の整備、資材ヤードが必要となります。その許可権限は再選された稲嶺市長にあります。埋立て工事を阻止する大きな力を名護市民は自力で獲得したと言えます。
《自立した市政に信任》
稲嶺市長は、この4年間基地がなくても街づくりができることを実証しました。何よりも市の財政を健全化し、予算と基金を増やしました。前の市政がやろうとしなかった学校の教室へのクーラーの設置やトイレの改修、公民館の建設など公共事業も推進し、その工事は市内の中小の建設業者に優先的に発注し、業者を支援してきました。この市民目線にたってススム市政が今回の選挙で信任されたのです。
《大阪平和委も勝利に貢献》
大阪平和委は、この市長選挙に10名以上の選挙ボランティアを派遣して稲嶺市長再選に大きく貢献しました。1月12日(日)鈴木副理事長が6人の青年会員と共に、稲嶺ススム後援会出発式と沖縄県安保破棄・統一連主催の必勝出発式に臨み、その後成人式に出席する新成人に向け宣伝活動を行いました。片方副会長が投票日前日まで2日間、上羽事務局長と奥村常任理事が投票日前日まで1週間以上、藤田東大阪事務局次長が4日間にわたって連日朝9時半から夜8時まで稲嶺支援を行いました。また、西晃副会長も統一連事務所に激励に駆けつけました。
《夜空に輝く「志」》
選挙ボランティアが終わって宿舎に帰るとき、銭ゲ森の山に「志」という光文字が夜の暗がりの中に浮かび上がっているのを毎夜目にしました。東江中学の卒業生が毎年成人式のころになると、文字の選定と草刈り、電球の設置などを行いこの風物詩を夜空に浮かびあがらせているとのこと。名護市民は、今度もまた、日本政府からの札束攻撃にも屈することなく基地に頼らない市政を稲嶺市長に託すことを選びました。名護市民の「志」は高く光文字のように輝いています。
《11月沖縄県知事選も勝利を》
仲井真知事は、昨年末、「基地の県内移設反対」のオール沖縄の総意に背き、辺野古埋立てを承認しました。これに対し1月10日沖縄県議会は県議会史上はじめて知事に辞職を要求する決議を可決しました。この決議と今度の稲嶺市長の再選は、仲井真知事へのWパンチで大きなダメージを与えました。11月予定の知事選挙で稲嶺市長と二人三脚で頑張る県知事を当選させることが「基地のない沖縄と日本」にとって次の大きな課題となりそうです。
昨年末、安倍自公政権暴走中だからこそ値打ちのある再建総会を開くことができ、林先生、沓脱先生、亡夫を始め諸先輩方の思いを繋げることができました。今年は平和への願いを青年たちに引き継ぐ活動がスタートです。誰もが「平和が一番」ですから、ウィングを拡げられるようにみんなで知恵と力を出し合い、リタイア組の時間も活用して、大いに馬年らしく、「悪事はけっとばし」て駆け巡りたいと思います。
新年明けましておめでとうございます。さわやかに新年を迎えられましたでしょうか。私たちのくらしは年毎に豊かになっていくのがふつうですがどんどんひどくなってくる様に思います。オスプレイ、原発、TPP、消費税そして秘密保護法と国民の多くの人たちの思いとは反対の方向に進んでいます。世界の多くの国々は核兵器をなくそう、貧困をなくそうと大きい国も小さい国も平等に話し合いを重ね始めています。私たちも世界の動きに呼応し逆走ではなく正道を一歩ずつ歩みを止めずがんばっていきたいと思います。
あっという間の一年だった。
ベトナム平和ツアーをはじめ原水爆禁止大会・長崎、あいば野日米合同演習反対集会、旭区平和委員会主催経ゲ岬「Xバンドレーダー」基地調査に参加した。基地調査といえば、北海道から沖縄まで基地調査で先導された竹馬さんが亡くなった。彼とは「70年安保」前からの付き合い。よく遊んで学んで活動にいそしんだ中之島、御堂筋は青春時代の散歩コース。「特別保護法案」反対集会・御堂筋パレードで平和の旗をかかげて明日も平和であることを願ってそのコースを歩いた年末だった。
短期間に空前の規模に広がった反対行動と国民世論、その声をテロ呼ばわりし、議事堂内の「数の力」で強行成立させた秘密保護法案。多くの人々はこのたたかいを通じて日本国憲法の精神を改めて学び、施行阻止・撤廃に向けた決意を固めています。
平和、民主主義、暮らし、あらゆる分野で、凶暴な安倍自公政権と、国民の要求が真正面からぶつかる“激突”の年になると思います。まずは年初の名護市長選挙で稲嶺さんの再選を勝ちとり、戦争への道を断固拒否、平和への道をまっしぐら、そんな年にするよう意気高くがんばりましょう。
今年も課題が満載。沖縄辺野古に新基地を作らせない、日本全土をオスプレイの訓練場にさせない――安保破棄のたたかい。秘密保護法を撤廃させ、「集団的自衛権」を認めない――平和憲法を守るたたかい。2015年NPT再検討会議に向け核兵器廃絶と原発ゼロをめざすたたかい。さらに大阪ではピース大阪の変質を許さない維新とのたたかい。
これらのたたかいを進めながら会員、平和新聞・平和運動の読者を増やすこと。総合的で持続的な平和委員会の活動を粘り強く、楽しく進めていきましょう。
お2人の一周忌にあたる昨年12月7日(土)、大阪平和委員会会議室でお2人のご家族を含む26人が集いました。
まず、橋本会長が、「戦争への道『秘密保護法』が臨時国会で強行採決される中でつどいを迎えることになった。平和をめざすお2人の生前の活躍から学び、戦争への道を阻む活動にいかそう」と開会の挨拶をしました。次に小寺生野区平和委副会長が若林さん、田口理事長が内藤さんとともに活動した思い出を語りました。さらに東田副理事長の音頭による献杯と会食、全員による自己紹介と続きました。その後パワーポイントを使ってお2人のありし日の姿とともに、次の言葉が紹介されました。
若林さん
「平和を語ることなしに本当の意味で政治は語れません。本当に日本の将来を憂うとすれば、平和を語ることなしにそれはできないんです。平和運動の目指すところは、国民の過半数の支持と信頼を得ることを目的としています」。
内藤さん
「去年(2011年)の全国大会で日本平和委員会が『憲法を活かして平和な日本をつくる』という提起をした。私たちは憲法を活かして私たちのくらしを守る。憲法を活かして、私たちの共同の目標を実現していく。これが新しい、今の閉塞状況を打ち破っていく一番大きな力だ」。
次に、小林副会長がお2人の府議時代をしのび、近藤副会長がお2人に自作の川柳をたむけました。次いでご家族から思い出が語られ、最後に鈴木副理事長が閉会のことばを述べました。
生野平和委員会は、1月19日安倍政権の暴走と悪法を撃破しようと「平和新春のつどい」を43名の参加で、元気よく開きました。おりしもその日は沖縄・名護市長選挙投票日で、朝から落ちつかずそわそわしながらも、つどいを成功させることが名護への連帯とばかり役員みんな大奮闘しました。はじめに戸井会長、大阪平和委吉田事務局次長、柴山のぼる日本共産党地区委員長の3人があいさつを述べました。おいしいお弁当をいただきながら、ともしび歌声広場をひらき、いろんな歌をみんなでうたいました。そしてコーヒーやお菓子を楽しみながら、豪華景品付きのビンゴゲームで盛り上がりました。最後に名護への連帯、この声沖縄に届けと「沖縄をかえせ」をみんなで大合唱.。
熱気にあふれる会になりました。