(案内ビラ PDF)
■主催:軍学共同いらない!市民と科学者の会・大阪(連絡先 06-6765-2840)核兵器禁止条約採択 国連会議
府内を平和大行進
都島平和委員会結成
『今月の言葉』
高江座りこみ10周年報告会に参加
平野・市民集会パレード
[福山功勝さんのヤンバル通信№12]
人類史上初めて核兵器を違法化する「核兵器禁止条約」が7月7日国連「交渉会議」で122カ国の賛成で採択されました。
大阪平和委員会から6月15日~20日、山本樹事務局員がこの国連会議を励ますニューヨーク(NY)行動に参加。以下は、歴史が動いた現場報告。
《次は調印・批准を求める運動を》
「核兵器禁止条約」交渉の議場では、経済的にも軍事的にも大国とは呼べない国や市民社会代表が次々と核兵器の非人道性とその廃絶を訴えました。議事終了後にはエレン・ホワイト議長自ら被爆者の手から核兵器廃絶を求める国際署名の目録を受け取るなど、「核兵器のない世界」の実現へ国際社会が真剣に取り組んでいることがよくわかりました。そして、この場に唯一の被爆国である日本政府が出席していないことが本当に残念で仕方がなかったです。
傍聴後の講演会で、元国連軍縮問題担当上級代表のセルジオ・ドゥアルテさんは「100年前は植民地侵略することも奴隷を所有することも権利だった。
しかし、今日ではそれらが違法とされているのは、社会運動が勝ち取ってきた成果」として「核保有国や同盟諸国にとっては国内での核兵器廃絶を求めた運動が一番の脅威となる」と「核兵器のない世界」の実現は市民運動の活躍にかかっていることを強調しました。
「核兵器廃絶を求める女性行進」では、性別、世代、人種、民族、信仰など多種多様な属性を持つ世界中の人達が大雨すら楽しむ雰囲気でNYの街を核廃絶を訴えて歩きました。
核兵器廃絶を求めて活動する世界中の市民が参加したフォーラムでは、これからの市民運動について、「人種差別問題、反戦運動、自然保護、貧困問題など今日の人類が抱える様々な課題と関連させて広範な人達と一緒に核廃絶運動を進めていくことが重要だ」と各パネリストから発言がありました。
一緒に参加した千葉の学生がこのフォーラムに共感し、「核兵器だけじゃない、貧困、差別、教育問題など全て関連している。
平和は、人間にとって根源的なものだと思った。それを守る活動を僕もしてみたい」と語り、平和委員会に入ってくれました。
「核兵器禁止条約」が採択された後は、条約発効に向けた調印・批准を求める運動が起きます。そのとき、唯一の被爆国である日本の政府はどのような態度をとるべきか、日本の一人ひとりによる意思表示が大きく影響を与えます。
「核兵器のない世界」の実現に向け、僕もこれからがんばっていきたいです。
《山本 樹事務局員》
6月30日昼、柏原市役所前で出発集会が開かれ、国連で核兵器禁止条約が論議中ということもあり300人を超える参加となりました。
集会後、玉置大阪平和委員会副理事長など府内通し行進者14人を先頭に参加者は東大阪市役所まで元気よく「核兵器禁止条約の締結を」「原水爆禁止世界大会の成功を」など訴えて歩きました。
八尾市役所の引継ぎ集会では、八尾平和委員会奥村事務局長(写真右が奥村さん)が八尾を代表して連帯挨拶をしました。
7月7日まで平和行進は幹線と網の目のそれぞれのコースを通過し、池田市に到達し、兵庫県に引き継がれました。
◇総会当日入会10人◇
6月29日夜、都島平和委員会(都島平和の会)の再開総会が、4月から3回の準備会を経て開催され31人が出席しました。
会長には上野とき子さん、副会長には田中邦夫さんと藤永のぶよさん、事務局長には鳥居和民さん、財政には山口須磨子さんが選ばれ活動と組織運営の先頭に立つことになりました。
総会では、安保条約廃棄、核兵器廃絶、戦争法廃止、改憲阻止などの活動を進める中で当面50人の会員を目指すことが確認されました。
大阪平和委員会からは多数の役員が駆け付け、西晃会長が代表して「私が会長に就任してすぐ、私の居住区である都島に平和委員会が誕生したことはまことによろこばしい」と都島平和委員会の結成を祝いました。
都島は会員26人で総会を開こうとしていましたが、なんと総会当日10人(そのうち女性9人)が入会。会員1・4倍化でのにぎやかな船出となりました。
《次は上野会長の抱負です》
「秘密保護法、戦争法、共謀罪、さらにはこの秋に改憲案。許せません。平和のために力になりたいという人がたくさんいます。そうした人とつながっていきたい。その点で、委員会ではなく『平和の会』と名前にもこだわりました。都島区にはナップや戦旗の事務所が置かれていたこともあり、そうした地元の歴史を訪ねるなど取り組みの幅も広げていきたい。50人にはすぐなりますよ」
「軍学共同反対連絡会」は雑誌の『ネイチャー』…などからの取材を受け世界に発信してきた。欧米では軍学共同が当たり前なのに、日本ではそれに反対する運動があることに驚
いて記事にしており、海外からの反響もある。それだけ日本の学会がまともな道を歩んできたことを物語っていると言える。
(『「軍学共同」と安倍政権』新日本出版社 68 頁、池内 了氏)
大阪安保主催(旭区平和委員会が協賛)で6月24日~26日、沖縄連帯・現地行動が実施されました。この行動の参加は15人(うち旭区ほぼ半数の7人)。
《行動日程》
24日、普天間基地を視察
25日、大浦湾・辺野古基地建設現場を視察、辺野古テントと高江ヘリパッド基地N1ゲート前テント激励訪問、高江座りこみ10周年報告会参加
26日、名護市役所で基地対策係と懇談、嘉手納基地視察
《高江座り込み10周年報告会》
主催者代表の安次嶺現達さんは、安倍政権が多数の機動隊員と当初予算の15倍かけて完成したと喧伝している「ヘリパッドが完成したといっても赤土が海に流れるなどしている。たたかいは続く」とあいさつしました。
現地行動連絡会の間島孝彦共同代表は「欠陥ヘリパッドを使わせないため監視行動を再開する」と報告しました。
米国出身のアーサー・ビナードさん(写真)は、講演で「オスプレイは不自然で不都合な飛翔体だ。中国もロシアも真似しないガラクタだ。このガラクタの訓練のため日本は新基地を提供するだけでなく、自衛隊も17機買うなど米国の軍需産業に貢献し続けている」と批判しました。
7月2日、平野区内で「戦争反対・平和を守れ!市民パレード集会」が平野平和委員会などのよびかけで開催されました。
集会では政党として日本共産党と緑の党が連帯挨拶。大阪平和委員会からも上羽事務局長が参加し連帯挨拶しました。集会後180人の参加者は、「国政の私物化反対」の短冊をつけた七夕の笹をもち「安倍は退陣、野党は共闘」とコールをしながら東住吉~阿倍野までパレードしました。
沖縄を透(スカ)して見える日本の民主化の前進2015 年12 月から1年7か月、私は辺野古・高江の現地闘争に参加してきました。その間この通信をこれまで11回重ねてきましたが、急遽帰阪せざるを得なくなり、これが最終稿となります。ご了解をお願いいたします。
さて、これまでのレポートを読み直してみました。
1回目は16 年6月25日号。6月5日投票の沖縄県議選の報告でした。オール沖縄が現有議席を4議席増27議席と躍進。共産党は5議席から6議席と与党第1党になり、応援に入った比嘉みずき候補がトップ当選。
2回目は6月12 日に始まった沖縄の「国民平和大行進」の報告。悪天候の中150 名の参加、「通し行進」参加者の不屈な粘りとキャンプシュワブでの交流の意義。
3回目は7月10 日の参議院選挙でイハ洋一候補が、島尻あい子に圧勝した翌日に安倍政権は、高江のオスプレイパッド建設を強行すると発表。22 日には全国から派遣された機動隊500 人が反対派を大弾圧。
4回目は高江の森を、自衛隊のヘリを投入してまで無惨に破壊する安倍政権の異常さを告発。
5回目は金に糸目をつけない安倍政権の強権行動に、何が何でもヘリパッドは造らせない!実力阻止だ!と先鋭化するたたかいに、非暴力を貫く高い志の大局観、挑発に乗らず、地元住民と共に暮らしを守り、平和を目指す真っ当な世論作りの必要性。
6回目はオスプレイパッド年内完成を目指す安倍政権の噓に噓を重ねる強引な手法への批判。
7回目は翁長知事就任2周年インタビューで、ヘリパッド受け入れ表明とも取れる「苦渋の選択」発言や最高裁が「辺野古違法確認訴訟」の上告棄却を決定するなど厳しい情勢の連続のなか「勝つまであきらめない」を確認。
8回目は新年1月号。昨年末のオスプレイ墜落や、形ばかりの「北部訓練場返還式」と比べ、同日行われた「オスプレイ墜落緊急抗議集会」の熱気、大感動の報告。
9回目は最高裁の勝訴判決を錦の御旗に再び辺野古での工事再開の無謀報告。
10回目は辺野古座り込み連続1週間の報告。誰も諦めてはいない。
11回目は名護(辺野古座り込み)と那覇(那覇市議選応援)を往復しながら安倍政権を打倒し、まともな政治を取り戻そうと訴え。
12回目(最終稿)、那覇市会議員選挙、共産党は現有6 議席から7議席へ全員当選。応援に行った前田ちひろは共産党でトップ当選。沖縄から見える日本の民主化の確実な前進。生きることは闘うこと。闘うことは生きること。
「ヤンバル通信」の愛読ありがとうございました。
福山さんは7月より活動のステージを大阪に移します。
今後大阪平和委員会理事としての活躍が楽しみです。