被爆74年―被爆者の命のあるうち核兵器廃絶を!~広島~長崎~
「慰安婦問題はデマ」発言に抗議
俳優座・有馬理恵さんの「一人芝居とお話し」
福山功勝常任理事(名護在住)の名護通信
今月の言葉
■沖縄に基地はいらない
おおさか総がかり行動に4000人(12月10日)
■中央安保全国代表者会議(26日)と、東村高江のN1ゲート前で取り組まれているオスプレイパッド建設工事の強行に反対する座り込み行動(27日、28日)
■「日本平和委員会関西ブロック会議」に全6府県集う(11月19日~20日)
■吹田平和委員会―「舞鶴バスツアー」を開催
■秋の行事「柿狩り&交流会」を実施~天王寺平和委員会
■10.30「南スーダンへの自衛隊派兵反対」
緊急宣伝行動実施
■「日本平和大会 in 三沢」に大阪から20人参加(10/22-23)
■府警機動隊による差別発言に抗議行動(10/20)
■大阪平和委員会、大阪平和遺族会共催で、第2回「平和のつどい」開催(10/15)
■大阪平和委員会、天王寺平和委員会で「沖縄連帯宣伝行動」(10/17)
■「2016年東大阪平和委員会総会」が盛大に(10/9)
■府民連が府議会開会前にランチタイム集会&デモに200人が集う(9月27日)
■「2016ピースエッグインおおさか」が開幕 in 信太山
■近鉄上本町駅頭で沖縄連帯「15日行動」
■戦争法廃止!日米合同演習反対!9・11あいば野集会に780人
■大阪原水協「6.9」行動に大阪平和委員会や天王寺平和委員会からも参加(9月6日)
■あいば野日米合同演習反対!8・24要請行動実施
■沖縄・高江オスプレイパッド建設阻止行動報告
■平和のための東大阪戦争展~講演や展示、映画と多彩な内容で、500人が参加~
■平和な日本と世界をめざし、大阪各地で戦争展開催
■高校生と大学生が被爆者2人の証言を聞く~「たこピー」主催(7月24
日)
■近鉄上本町駅頭で沖縄連帯15日宣伝行動(7月15日)
■国民平和行進「核兵器・戦争法をなくそう」の声沿道にとどろく(7月6日)
■大阪市内幹線コース 国民平和大行進に300人(7月4日)
■2016年国民平和大行進・大阪府出発集会に300人~大阪平和委員会から2人大阪通し行進に挑戦~(6月30日)
■「沖縄県民大会」に大阪平和委から4人参加~被害者追悼・基地撤去を決意~(6月19日)
◆2016.7月~2016年12月INDEXアーカイブ(活動報告・資料)
◆2016.1月~2016月6月INDEXアーカイブ(活動報告・資料)
◆2015.7月~2015月12月INDEXアーカイブ(活動報告・資料)
◆2014.12月~2015月6月INDEXアーカイブ(活動報告・資料)
◆2014.12月~2015月6月INDEXアーカイブ(活動報告・資料)
◆2014.7月~2014月11月INDEXアーカイブ(活動報告・資料)
◆2013.10月~2014月6月INDEXアーカイブ(活動報告・資料)
◆2012.7月~2013月10月INDEXアーカイブ(活動報告・資料)
おおさか総がかり行動実行委員会は、10日午後「『オール沖縄』の民意を尊重し、辺野古と高江への基地押しつけは許さない」と4000人の参加で集会を開きました。
集会では、「沖縄の風」の伊波洋一参議院議員が「安倍政権は、本土から機動隊員を動員して、ノグチゲラなど自然の宝庫の沖縄本島のヤンバルの森にオスプレイパッド(着陸帯)の建設を強行しようとやっきとなっている。沖縄と本土が連帯して安倍政権の辺野古新基地建設、高江での暴挙にストップをかけよう」と訴えました。辰巳孝太郎日本共産党参議院議員が「野党と市民の共同を強め、『戦争する国』づくりと沖縄への基地の押しつけをすすめる安倍政権を打倒するため全力をあげよう」と呼びかけました。
また、吹田の「ママの会」代表が「吹田平和委員会と一緒に『標的の村』の上映会を200人の参加で成功させた」と高江に連帯するスピーチを行いました。
集会後、大阪平和委員会の仲間は、横断幕を先頭に旭区、生野区、北区、天王寺、東大阪、堺市、西淀川など多数の幟をもって中崎町までデモ行進しました。
安保破棄中央実行委員会は、26日沖縄県那覇市内で全国代表者会議を12都道府県68人で開催しました。11月27日と28日は沖縄県東村高江のN1ゲート前で取り組まれているオスプレイパッド(着陸帯)建設工事の強行に反対する座り込み行動に参加しました。
全国代表者会議では、仲山忠克弁護士は「知事権限や市長権限を行使すれば辺野古新基地は阻止できる」、瀬長和男沖縄統一連事務局長は「砂利搬入のダンプ60台を止めたい一念で早朝7時から高江で座り込みをしている。ダンプの巻き上げる土埃や機動隊による座り込み強制排除と厳しい現場だが、ユーモアと『倒す相手は政府だ』ということを忘れないようにと座りこみ支援者に呼びかけている。高江の異常を全国に知ってもらい、全国から支援者がもっときてほしい」と発言しました。
28日は早朝から安保破棄中央実行委員会の64人を含め約250人と多くの県内外の人々が抗議の座り込みをしたため、機動隊は参加者の排除(ごぼう抜き)ができず大型ダンプでの砂利の搬入は午前いっぱい止めることができました。
しかし、中央安保の行動終了などで座り込み参加者が大幅に減った午後には機動隊が参加者をごぼう抜きにし、大型ダンプによる搬入が強行されたとのことです。「数は力」だということを思い知りました。
なお、この3日間の行動には、大阪平和委員会からは上羽事務局長が、同事務局長のとりもちで全教豊中の退職女性教職員3人も参加しました。
日本平和委員会関西ブロック会議が、11月19、20日奈良県平群町内で関西6府県から33人が参加して行われました。この1泊2日の会議は、各府県平和委員会の親睦を深めるとともに、安保法制(戦争法)の具体化=南スーダンへの自衛隊派兵が焦点となる、年末から来年にかけてさらに平和委員会の活動と組織を強化拡大する目的で開かれました。
会議の冒頭、千坂純・日本平和委員会事務局長は開会挨拶のなかで「武器使用ができる新任務を与えられて自衛隊の部隊が南スーダンに派兵されようとしている」「派兵を静観するのではなく、部隊の撤退、安保法制(戦争法)の廃止を求め続けることが平和運動の責務」だと強調しました。
続いて映画「いのちの森・高江」(謝名元慶福監督・佐々木愛語り)を鑑賞後、この会議のために沖縄県名護市からかけつけた福山功勝さんが、高江でのオスプレイパッド基地建設工事強行に伴う安倍政権とその操り人形である機動隊員の無理無体について毎日現場を体験している人ならではの報告をしました。
次に元気な地域組織の活動報告と交流。会員数人口比奈良県下トップの平群町平和委員会の井上正彦副会長が最初に登場。女性会長以下6人で毎月役員会をもち、毎月19日「戦争法反対スタンディング」、イべント(4月花見、7月ビアパーティー、9月お月見会…)、町行政との交渉、町行政の協力を得ての戦争展など多彩な活動について報告しました。次に5月に結成された大阪・吹田平和委員会の永松玲世話役が報告。「結成総会で『裂かれる海』を上映し、その様子をフェイスブックで発信した。‘高江のことをみんなに知ってほしい’と思っていた『ママの会』の会員がそれを見て‘平和委員会に相談したらいいかも…’というのが発端で7月『標的の村』共同上映会が実現した。上映会には200人が参加し、10万円の黒字となり、全額高江支援に回した。会場では『ママの会』会員など4人を会員(兼新聞読者)に迎え入れることができた」
この後、20日午前中まで平和運動のすすめ方・仲間づくりのコツ・組織運営のノウハウや京丹後Xバンドレーダー基地設置に伴い住民に多大な不安や被害が起きていることなど関西各府県の米軍基地・自衛隊駐屯地をめぐる問題について熱心に討論・交流しました。
南スーダンPKOへの陸自第一陣出発日に当たる20日、会議終了後午後1時から近鉄奈良線生駒駅前で、11人が参加して「安保法制(戦争法)の発動を許すな」と緊急宣伝行動を実施しました。この行動で「自衛隊に『駆け付け警護』など新任務を付与せず、南スーダンからの撤退を求める署名」が33筆集まりました。
吹田平和委員会は、11月13日「舞鶴バスツアー」を21人で実施し成功させました。
以下は、片方副会長の報告です……
今日は吹田平和委員会の企画で舞鶴へ。五老ヶ岳展望台→海上自衛隊イージス艦見学→引揚記念館→浮島丸事件の碑を巡りました。
終戦後、80歳過ぎで亡くなるまで舞鶴港の岸壁になんども足を運び戦場に行った息子さんを待ったお母さんの紹介パネルには言葉が出ませんでした。
ツアーの運転手さんが、引揚記念館でたまたま他の観光客の男の人たち3人組が話していた内容を帰りのバスの中で紹介してくれました。「こんなところに来ると普段何にも考えていない俺たちでも涙出るな」「でも、今もこういう時代になりそうな雰囲気じゃないか」「安倍さんには降りてもらわないとあかんなあ…。」
ポカポカ陽気の秋の日、京都縦貫道も新御堂筋もとても混んでいましたが、引揚記念館も来場者でいっぱい。過去の過ちに学ぶ記念館がたくさんの人を迎えれば、二度とお母さんたちに悲しい想いをさせずに済むのかなと思いました。
天王寺平和委員会は11月8日、天気には恵まれませんでしたが、秋の行事「柿狩り&交流会」を実施しました。10人の参加者は、奈良県天理市内にある会員の柿畑で雨間をえらんで柿狩りをしました。渋柿と富有柿の2種類の柿の木が10本以上ある畑ですが、今年は不作の年にあたり多くの収穫は期待できませんでしたが、それでも参加者は、背伸びをしたり、脚立に乗ったりして小鳥に少し残しておくことも忘れがちに(?)柿狩りに没頭しました。
柿狩りの後、参加者は、近くのトレイルセンターに移動し、お弁当を食べた後、平和運動に携わるようになったきっかけについて次のようにこもごも語り合い、交流しました。
「死んだ父親は怖い人で、子どもの私は怯えて育った。ところが、孫が学校の宿題で祖父(=私の父親)の戦争体験を聞きとる機会があり、その過酷な戦争体験を私も知るところとなった。被弾したときの焼けるような痛みの後、意識不明に、そして米軍の捕虜に……。私はこの父を通して戦争を憎むようになった」
大阪平和委員会は10月30日午後2時より近鉄上本町駅頭で南スーダンへの武器使用任務を加えた自衛隊派兵はやめさせようと宣伝行動を12人で実施しました。
参加者は「安倍政権は、11月からアフリカ・南スーダンに派遣される陸上自衛隊第9師団第5普通科連隊(青森市)を中心にした部隊に、戦争法にもとづく武器使用任務(「駆けつけ警護」「宿営地共同防衛」)を付与し送り出そうとしています。これは何としてもくい止めなければならない」と訴えるビラを配り、「自衛隊に『駆け付け警護』など新任務を付与せず、南スーダンからの撤退を求める署名」を27筆集めました。
この行動には、天王寺と生野からも多数の会員が参加しました。
10月22~23日、青森県三沢市内で「日本平和大会」が全国から1500人(大阪からは20人)が参加して開かれました。
22日午後、参加者はバスに分乗して地元ガイドの案内で三沢基地とその周辺を視察。基地の全体像に触れてから開会集会に臨みました。開会集会では、伊波洋一参議院議員(沖縄の風)、高橋千鶴子衆議院議員(日本共産党)、田名部匡代参議院議員(民進党)が列席し連帯挨拶。大きな拍手に包まれました。
23日午前中は、国際交流シンポジウムも含めて10分科会に分かれて学習と交流。午後は、三沢市中央公園で集会後、「憲法を守りいかそう」「南スーダンから自衛隊員を撤退させよ」などとコールしながら市内を練り歩きました。
地元紙・東奧日報(23日付)が「南スーダンに陸自派遣反対 三沢で日本平和大会」と大きく報道し、帰りの東海道新幹線車中でも電光掲示板に同趣旨の産経新聞ニュースが流されるなど全国注視の大会となりました。
10月20日(木)午後、大阪平和委員会、大阪安保、大阪労連の3団体代表が大阪府警察本部に赴き、18日大阪府警から派遣された機動隊員が東村高江の県道付近で抗議活動をしている市民に対し差別発言をしたことを受け、本部長に対し抗議・要請行動を行いました。府警側は府民応接センターのN氏とK氏が応対しました。
この行動のあと、3人の代表は府警本部前にかけつけた13団体25人に対し、差別発言への本部長の謝罪と府警機動隊のすみやかな撤収を申し入れた旨の報告を行いました。
10月20日に大阪府警に提出した抗議文「沖縄県東村高江に派遣されている 大阪府警機動隊員による差別発言に抗議する」(PDF ワード)
南スーダンPKOに派遣される自衛隊に新任務付与の危険が迫る中、大阪平和委員会は、10月15日(土)大阪市内で、侵略戦争を猛省し二度と戦争をする国にしない結意をあらたにしようと「平和のつどい」を大阪平和遺族会と共催しました。
近藤理事長の開会挨拶のあと、内藤功弁護士(日本平和委員会代表理事)が「戦争体験と憲法の力」と題して講演。「死は鴻毛より軽い戦争する国と生命自由幸福追求の権利が尊重される戦争しない国の違い」「戦争体験、とくに橿原にあった海軍経理学校に死を覚悟して入校した1945年3月から9月までのその詳細」「戦争しない国での再出発」と分けて話を進めました。「戦争体験と憲法を『武器』に安倍政権による戦争する国づくりを阻止しよう」、とくに若者には「世界情勢を知ることは自分を守ることになる」と呼びかけました。
次に、戦没者遺児・中村誠さんの語り。「父は戦死。母は実家に帰らされ祖父と祖母に育てられた。小学校のとき『母の日』に母について何か書けと言われたときは先生をうらんだ……」などと語りました。
次に、戦没者遺児・佐野映子さんが自作の詩「父へ」を朗読。その後ケイ・シュガーさんが佐野さんの詩に曲をつけたものを歌唱。涙と大きな拍手につつまれました。
最後に、大阪平和遺族会の金崎佳子さんが閉会挨拶をしました。
104人の会場定員に対し満席の盛況だったうえに、つどい終了後3人から入会の申込がありました。
《参加者の感想紹介》
■「毎年このような集会を継続されていることに敬意を表します。非常に勉強になり、力づけられる集会でした」(宝塚Nさん)
■「佐野さんの思いとその前に話された中村さんの話が重なりました。幼子の運命を変える戦争…。ほんとに戦争はアカン」(Nさん)
■「今からの戦争は私たちの責任ということば…よくわかりました」
「沖縄県民の民意尊重と、基地の押しつけ撤回を求める全国統一署名」14筆集約。
大阪平和委員会は、天王寺平和委員会と一緒に17日昼間、近鉄上本町駅頭で2日遅れの「沖縄連帯宣伝行動」を実施しました。近藤正理事長がマイクを握り「安倍政権は国土面積のわずか0.8%にすぎない沖縄に日本の米軍基地の73.8%を押しつけ、その上さらに住民の意思を無視して高江オスプレイパッドの建設工事を強行するため大阪府など本土から機動隊員を投入している」「戦争法を発動して自衛隊南スーダンPKOに『殺し殺されることになる』新任務を加えようとしている。憲法9条のある国でこんなことは許されない」と訴えました。
チラシを受け取り署名に協力した八尾市内の大学生(20歳)は、高江の情報などを今後発信してほしいと携帯の電話番号を天王寺の会員に教えてくれるというハプニングもありました。
10月9日午後、東大阪平和委員会総会が開催され、浜正幸市長選挙候補(2015年9月)や内海公仁、神野淳一日本共産党両市議も含め34人が参加しました。
最初に、参加者は上羽大阪平和委員会事務局長による「『戦争法』ではなく『憲法』で平和な世界と日本を」と題する報告に基づいて今日の情勢と課題について学習しました。
続いて、佐藤照見事務局長が議案の報告を行い、1年間の活動を振り返るとともに、向こう1年間の課題と方針を提起した後、討論に移りました。
学習と討論では、東大阪が改憲に突き進むカルト集団「日本会議」の最大支部の拠点になっていること、東大阪の26の中学校では日本会議の宣伝チラシ化している「公民」教科書が使われていること、野田市政は「近代建築」の傑作と言われる旭町庁舎をつぶし、施設設備と運営を含めて民間事業者にゆだねる民営化をすすめようとしていることなどが明らかになりました。総会の最後に、「日本会議」に負けない組織拡大など2016年新方針を実行にうつす斎藤孝義会長、2人の30代の世話人を含む新年度役員9人が選出されました。
なお、大阪からは片方副会長、鈴木組織委員長、岩本青年協議会議長らが連帯参加し、あいさつしました。
9月27日昼休み府議会開会日行動として府庁前ランチタイム集会&デモが200人の参加で実施されました。
集会では石川多枝日本共産党府議が「府民の暮らしがこれだけ大変になっているときに、やらなければならないことは大型開発や府立高校(西淀川、大正)をつぶして跡地を売ることではない。府民要求実現のため奮闘する」と決意表明しました。
大瀬良大教組書記次長が「たった1回のチャレンジテストが高校入試の資料となる内申書に反映し中学生の未来を左右する。こんなテストは廃止しかない」と訴えました。参加者は、集会後府庁のまわりを「カジノはいらん」「万博もいらん」「『都構想』もいらん」とコールしながらデモ行進しました。
大阪平和委員会からもこの行動に参加しました。
9月17日午後から、大阪の信太山で日本平和委員会と大阪実行委員会=大阪平和委員会青年学生部青年協議会が主催する、青年による青年のための2泊3日のイベント「ピースエッグ」が始まりました。
3日間にわたり少人数の班に分かれて平和を中心にとことん議論するとともに、一緒に時間を過ごすなかで楽しい仲間を見つけるのが、このイベントの醍醐味。
北は北海道から南は岡山県と全国各地からやってきた青年たちは、オープニングの後、さっそく班ごとに自己紹介・アピールを行い、参加の動機や抱負も語り合いました。
続いて青年たちは、「戦争体験を引き継ぐ」「憲法を学び、好きな条文を見つける」「平和ってなんだろう?」「競争教育の実態は」など6つの分科会に移り、講師やパネリストの話をよく聞き、納得がいくまで質問・討論を続けました。
このピースエッグには80人を超える青年が参加する予定です。彼らの旧い殻を破った成長が楽しみです。
大阪平和委員会は9月15日(木)昼、近鉄上本町駅頭で天王寺、生野両平和委員会の仲間とともに計8人で沖縄連帯「15日行動」を実施しました。仲間たちは、行き交う人びとに「大阪府警による高江への機動隊派遣、村民弾圧は中止させよう」「安倍政権は県民の心を踏みにじる米軍基地を押しつけないで」と呼びかけるとともに、日本平和委員会作成の「沖縄・高江にも辺野古にも米軍基地はいらない」と訴えるチラシを配りました。
わずか30分余の行動でしたが、安倍暴走政権による民主主義と地方自治、個人の尊厳をふみにじる沖縄県への米軍押しつけに怒っている人が多く足を止め、「沖縄・高江でのヘリパッド工事中止を求める」署名は計21筆集まりました。
9月11日午後高島市今津町住吉公園で標記の集会が「ふるさとをアメリカ軍に使わせない滋賀連絡会」主催で行われ、愛知県や関西6府県から780人が集いました。
集会では沖縄県選出・伊波洋一参院議員が、「今、米軍機が勝手気ままに上空を飛行するなど沖縄県・高江、あいば野演習場をはじめ日本中が米軍の訓練場にされてしまっている。こんな事態を止めるため、沖縄県民と本土のみなさんが連帯してたたかう必要がある」と連帯挨拶を述べました。また、宮本岳志日本共産党参院議員が「あいば野での日米合同訓練は安保関連法(=戦争法)発動に向けた訓練だ。こんな物騒な訓練には反対しなければならない。また11月南スーダンPKOに派遣される自衛隊員に新任務(「駆けつけ警護」や「宿営地共同防衛」)が付与されれば、戦後初めて自衛隊員が「殺し殺される」戦闘に巻き込まれてしまう。こんな事態は平和憲法にかけて何としてもくい止めよう」と訴えました。
集会後、参加者は同公園を出発し、「日米合同演習はやめよ」「戦争法を廃止しよう」などとコールしながら市中をデモ行進し、近江今津駅で解散しました。
なお、この集会には大阪平和委員会事務局以外に、旭区、北区、堺、吹田の各平和委員会から多数参加しました。大阪全体の参加者は計51人でした。
9月6日大阪原水協は正午より近鉄上本町駅頭で9月度の「6・9行動」を実施しました。1時間足らずの宣伝行動でしたが、13人と参加者が多いこともあり「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」が26筆、カンパが1000円寄せられました。
この行動には大阪平和委員会や天王寺平和委員会からも多数参加しました。
大阪原水協は、9月26日(月)「国際核兵器廃絶デー」の一環として午後5時より同じ場所で国際署名宣伝行動を実施します。多数ご参加ください。
安保法制(=戦争法)や新ガイドラインの進行のもとで、8月29日から9月21日まで、滋賀県あいば野演習場等で、陸上自衛隊第3師団第36普通科連隊と米陸軍3-25旅団第2-27大隊が参加する日米合同演習(共同訓練)が実施されます。
8月24日、奈良と和歌山を除く4府県安保破棄実行委員会、大阪・京都平和委員会から24人が参加して近畿中部防衛局と交渉を持ち、この日米合同演習を中止するよう申し入れました。
この交渉の前に、参加者は大阪府職労会議室で片岡明京都平和委員会理事長から今回のあいば野日米合同演習の特徴や目的についてレクチャ―を受けました(上の写真)。
また、交渉の後は米総領事館前へ移動し、新婦人大阪府本部や大阪労連なども加わり抗議宣伝行動を実施しました。
「戦争法廃止・日米合同演習反対」
あいば野大集会&デモ 《大阪からバスでの参加要項》
◆日時:9月11日(日)12時45分~15時 |
沖縄の民意が示された7月10日の参議院議員選挙の翌日、安倍政権は米軍北部訓練場のオスプレイパッド建設を強行すると発表。同月22日、通称N1ゲート前の「座り込みテント」を防衛局が強制撤去。それも全国から派遣された500名の機動隊の違法不当な警備に守られて。更に防衛局は、工事用車両を通すために、国有林を林野庁の許可を得ず伐採。もはやなりふり構わぬ無法ぶりに、驚くよりも呆れます。品位は全くありません。
米軍北部訓練場は1996年、SACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意により「県民の負担軽減のため、北部訓練場の半分を返還する」ことになり、その交換条件としてヘリパッド(着陸帯)建設や上陸訓練の提供水域が決まりました。しかしヘリパッドはオスプレイ用であることが判明。住民は2度の村議会決議で反対を表明。2007年から工事用ゲート前の座り込みを開始したのです。毎日24時間体制監視活動を続けてきました。この9年間のたたかいを思うと頭が下がります。「辺野古」のことは知っているが「高江」のことは知らない。安倍の暴走が国民に「高江」の名を知らしめました。まるで欠陥機オスプレイ訓練を通して「県民の負担軽減ではなく米軍基地の機能強化」であることを浮き彫りにしたように。しかしまだまだ国民には沖縄の現状が知らされていません。
8月5日の「県民会議オスプレイパッド建設阻止高江現地実行委員会」主催の抗議集会には、普段は人ひとり通らないN1裏の座り込み現場に、全国から1000名以上の人が参加しました。ネット上で知った情報を頼りに、特に若い男女が自主的に応援に来ていました。心強い限りです。
沖縄が本土の犠牲になり、しわ寄せを受けるいわれは何にもないのです。この地域は、国際自然保護連合(IUCN)がイチオシの生物多様性の宝庫。世界自然遺産候補の土地です。何故人類の誇るべき地域を、戦争のための基地にまでして米軍に貢献する必要があるのでしょうか。
安倍政権の姑息で強権的なアメリカ言いなり政治を止めさせ、日本国憲法の平和主義に則った政治を回復させるため、沖縄の現状を全国に発信する努力を続けましょう。高江に行こう!
品のない政治に体調を崩します。
《 回文 》
「手腫れ 気 あきれ果て」(てはれきあきれはて)
東大阪戦争展は7月30日、31日ユトリ‐ト東大阪で開催。オープニングは実行委員長挨拶、お母さんたちによる戦争体験朗読発表で始まりました。映画「X年後Ⅱ」の上映、フリージャーナリストの西谷文和さんの「戦争のリアルと安保法制の問題」講演やなど参加各団体の展示など、500人の参加となりました。
平和委員会はDVD上映に取り組み、主には、第一回国民平和行進の映像記録や報道ステーションのワイマール憲法の教訓、日本のシンドラーといわれた外交官杉原千畝を解説した作品です。第一回目の国民平和行進が広島から東京に向かったこと、広島でのスタートは一人ではじめられ東京に入った時には1万人が参加したこと、沿道での歓迎や激励、焼津で久保山愛吉さんの追悼墓参などが感動的に伝わったと思います。
また「ワイマール憲法の教訓」では今日の「安倍暴走政治と重なっている」「緊急事態条項は危険や」などの感想が出されています。立ち寄った中学三年生(?)の3人グループに憲法について聞くと「ちらっと習ったかなぁ」という声がかえって来ました。核兵器を廃絶し、改憲を許さないためにも、国民的憲法議論をいっそう進めなければと感じています。
大阪では東大阪、堺、天王寺で戦争展が実施され、夏休み中の子どもたちも見学に訪れ、賑わいました。
堺市ではドキュメンタリー映画「ザ・思いやり」(リラン・バクレー監督)が上映され100人以上が参加し好評を博しました。
東大阪戦争展は7月30日、31日ユトリ‐ト東大阪で実施され、子どもづれのお母さんたちが熱心に見学しました。「X年後Ⅱ」が4回上映され各回50~60人が鑑賞しました。フリージャーナリストの西谷文和さんの講演も行われました。
天王寺戦争展(写真)では7月29日~31日まで「ピースおおさか」から借り出した大阪空襲や原爆写真パネルが展示され、映画「二十四の瞳」などが上映されました。30日には大阪平和委員会事務局長が30人を前に「戦争法を考える」と題して45分にわたり報告しました。また8月1日には小田禮五郎三光神社宮司のガイドで三光神社内の戦跡めぐりを京都からの参加も含め18人で行いました。参加者は皆戦争の傷跡を保存し「戦争は絶対にあかん」と語る81歳の宮司さんの平和への思いに圧倒されました。
7月24日(日)「被爆体験を聞く会」が8月の原水爆禁止世界大会参加に備えるプレ企画として大阪平和委員会事務所で開催されました。
主催は大阪の高校生でつくる平和サークル「たこ焼きからピース」(通称「たこピー」)。広島で4歳時に被爆した山川美英さんは、「被爆したときは母親も私も気を失っていたが、母親は熱線で焼けただれた背中に自分を負って逃げてくれた。自分は中学生になって被爆したことを知った。自分と母親のような被爆者はもう出したくないので核兵器を早くなくしたい」と語りました。
もう一人の広島の被爆者・松山五郎さんも証言をするとともに「被爆者が呼びかけた新国際署名は核兵器廃絶に大きな役割を果たすので頑張って集めたい」と決意を語りました。参加した高校生たちは「もっと多くの人たちに被爆体験を聞いてほしい」と感想を述べました。
参加者は高校生・大学生4人を含め計12人でした。
大阪平和委員会は7月15日(金)昼、近鉄上本町駅頭で天王寺平和委員会と一緒に6人で「沖縄連帯15日宣伝行動」を実施しました。
上羽事務局長が、日本平和委員会作成の辺野古新基地反対を訴える沖縄連帯ビラを掲げながら、「沖縄では“オール沖縄”の伊波洋一参院選沖縄選挙区候補が現職の島尻安伊子沖縄担当相に10万6千票の差をつけて圧勝した。沖縄県議選につづき、辺野古新基地建設反対の民意が示された。
アベ政権は辺野古基地建設を断念すべきだ」とマイクで訴えました。「辺野古新基地工事の中止と普天間基地の無条件撤去を求める」署名がわずか30分の行動でしたが計10筆集まりました。
7月6日(水)国民平和行進・幹線コース7日目は北摂・三島地域の沿道を練り歩きました。
摂津市の集会では、青年会員・長谷川裕介さん (吹田平和委員会の世話人・摂津民商事務局員)が司会を務めました。さらに、うれしいことに、集会の場で男性が一人吹田平和委員会の会員・読者になってくれました。。結成されたばかりの吹田平和委員会の仲間6人が摂津市から吹田市役所まで行進しましたが、この新入会員も大阪平和委員会からプレゼントされたばかりの「吹田平和委員会」幟をもって行進してくれました。
吹田市メイシアター前の集会終了後、吹田平和委員会の仲間たちは地元の通し行進者の玉置副理事長も含め全員乾いた喉を潤し、吹田平和委員会の明日を語るため街にくりだしました。
7月4日(月) 平和大行進は午前9時住吉区役所をスタートし10
時40分天王寺公園に到着。トイレ休憩のあと10時55分に天王寺公園を出発し上町筋を北上し大阪城・教育塔前に12時30分に到着しました。
天王寺平和委員会の35人の仲間たちは、住吉区役所から行進してきた府通し行進者の玉置敏次大阪平和委員会副理事長らと天王寺公園で合流し、一緒に大阪城まで「核兵器をなくそう」「戦争法を廃止しよう」と沿道の人々に訴えながら行進しました。
下校中の高校生が歓迎してくれたり、マンション上階のベランダから女性が手を降ってくれるなどの反応のよさ。「これまでの平和大行進のなかでも最高の暑さ」(何度も通し行進している人のことば)に耐えて歩いたなによりの報酬でした。